kentakinte’s diary

活動報告!

新プロジェクトについての覚書

 

 

 5月17日18日19日で福岡アジア美術館で開催されるFukuoka Dance Exchange に参加させて頂き、アーティストの手塚夏子さんをお迎えし現在取り組んでいる新プロジェクトについてのデモンストレーションとトークをご覧頂く。

 

 現在進行中の新プロジェクトについての覚書を残しておきたいと思う。

 

 これまで私が創作の中心にしてきたテーマは主に「私を語る」という事だったのだと思っている。それは「私とは何か」ということであり、そしてそれは、私というものがいかに定義が曖昧なものであるかに気がつかされることが多く、私の教育や属性などのあらゆる環境の持つ特長について自覚していくことに繋がった。そのような捉え難いて‘私’を対象として、その私の中に「どんな抑圧や怖れがあるのか」や「生きづらさや苦しさや痛み」の正体を詳らかにしたいという欲求に突き動かされた探求であった。 

 今回の新プロジェクトによる日々の観察や実践の中で、それらのテーマは、私が自ら望んだり、欲したり見たかったりしたものだったのか。いや、そうではなく、それをせざるを得なかった結果だったのだろうということに気がついた。

 私が私の痛みの正体を知りたいと思う欲求には、私のセクシュアリティーや、父・母の夫婦の関係、それに伴う父と私、母と私、両親と私といった家族の関係、そしてその関係性から影響を受けて人格形成された私が出会った友人との交流によって得た感覚や感情といった様々な事柄が影響を及ぼしている。そしてそれらは、私の中に「外に出してはいけない」「自覚してはいけない」「認識してはいけない」という感覚を意識的に、あるいは無意識的に私に与えたことに気がついた。

 それは、私の家族内部で形成されていた「隠されていたもの」の原型を、幼い私がしっかりと明確に感じ取り、その後の社会でのあらゆる場面においても同じ基準でその「隠されたもの」を含む感覚や言動やイメージすることを意識や認識から外して生活をし続けたという事なのだと思う。

 

 その後私は10代の後半で、ダンスや演劇と出会い、それらの表現活動の場でのみ、それらの私の中に固定化された「隠すべきもの」が解放出来るということを知る。そしてそれを特に強く解放出来る手段がダンスであった。これが私がダンスに強く惹きつけられた理由だと思う。

 ダンスは言葉で説明しなくてよい。音楽に身をゆだね、振り付けに身を投じる中で、私はこっそりと、しかしはっきりと「隠すべきもの」の中にあった感覚や感性を自然に外に出せる感覚と出会ったからだ。それは特に色気の感覚だったと思う。ジャズダンスなどを踊る感覚や、それらを踊る人を見て感じる感覚から、猛々しい性の衝動のような生々しさを感じたし、男性の身体をまじまじと見ることに許可を与えられ、更にそれに対して色気を感じても良いという許可を与えられた事は、当時の私にとってはとても大きかったのだと思う。

 更に「愛を示すこと」「愛を示されること」への欲求不満は、ステージに立ち観客から見られるということでそれらが満たされるような感覚が得られ、アドレナリンが一気にドバドバーーーーー!!!と大放出し興奮した。また、「自分が興奮すればする程、人から注目を集められる」という成功体験が、私を一瞬で中毒的にのめり込ませていった。

 そんな私は大学卒業と共に渡独し、20代はドイツでダンスを仕事にし生活をした。

 それらの時間は私に大きな幸福感や満足感を与えたが、一方で「隠されたもの」が何であるかにはまだ触れる事が出来ず、そしてそれを知ろうともせず、むしろ踊るにはその「隠されたもの」の恐怖や不安があったほうが良いと思っていたようなところがあったと思う。しかし、いつしかダンス自体が楽しくなくなって、20代後半は疲れ果て体調を崩す事が多くなっていった。そしてついに28歳の私は、ベルリンで約2年間全ての活動をストップさせる。

 その間に「私は何故ダンスを楽しめなくなったのか」「この不安の正体は何か」等について徹底的に考えた。様々な思考と向き合う中で、「ヨーロッパでプロのダンサーである自分」というプライド、アイデンティティーをまずはひとまず捨て去り、「私は何をしたいのか」「私のテーマは何か」を本当に考えていかないと、私は自分の人生でこのままでは芸術とは一生出会えないと思うに至った。

 30歳になった年の2011年に帰国を決め、自身の体調面や心理面や生い立ち等と向き合いながら、それを作品制作として発表するということを始めた。以降2018年まで毎年作品を制作上演してきた。2018年に家族と自身のセクシュアリティーを直接的に題材とした「海はまだそこにある」を上演し、その上演とそれまでのアトピー体質改善のための実践を通して、随分と自分の中の「隠されたもの」を見て、それを外に出していけるようになったという実感が得られた。

 これらのことをふり振り返ると、「私を語る」というテーマは、私がそうしたかったというよりは、せざるを得なかったと言える。

 それらは全て自分が感じてきたことを外側からの目を通した自分のフィルターを通して考えていった記録や実践だった。

 

そして2024年、私は40代に入り、何となく漫然と「私の中から以外のこと」から制作をしたいと思うようになったのだ。そして、今回福岡ダンスフェスティバルでご一緒させて頂く手塚夏子さんの考え方に触れ、実践を通して考える中でそれは言い方を変えれば「私の内発」をテーマにするということなのかもしれないとの思いに至った。外からのフィルターを通さない自分の内発性や衝動を間近で見て、感じて、それをテーマに遊んだり、面白がったりして、それによって新しい私の欲求を感じて発せられる何かを模索したい。それは私とダンスとの新しい出会いとも言えるのだと思う。

 今回の新プロジェクトについては、5月17日に福岡アジア美術館で手塚夏子さんを伴走者にデモンストレーションとトークをご覧頂き、その後引き続き更に深めていきたいと考えている。

 

最近考えたこと プロセス

 癌患者の受け入れるプロセスを、否認、怒り、取り引き、鬱、受容の5段階であるとキュブラー・ロスという人が言っているというのを聞いた。本当のところで癌患者がどうなのか今の私にはわからない。しかし、私は病気があるなしに関わらず、生きる限りにおいて、この5段階をプロセスすることから逃れられないのだろうなぁと思う。もちろん人生は人それぞれ。私以外の人生はわからない。しかし、見てると割と私の周りのほとんどの人が、この過程を経験しながら日々を生きているように見える。各項目がどのくらいの長さ、深さで経験するかは人それぞれ違うし、全部を経験し終えないで人生を終える事も多数あるだろう。受容を深く体験する人こそ、ごく少数なのかもしれない。そしてこの過程を何度も繰り返し体験することもあるだろう。

 私の場合は、多くの場合、ストレスや危機や病気と共にこれらのプロセスを経験していってきたという感じがする。それは思い通りにならない危機的状況である。

 何の意味があってこんなプロセスを経験するのかは、わからない。

 意味はないのだろう。

 私達はそういうシステムに産み落とされたという事だと思う。

 どう抗っても、このプロセスから逃れる事は出来ず、私達は何があろうがこのプロセスを経験させられる。

 そう考えると、私にとって害にならない、安心や喜びや楽しみを感じさせてくれる他者の存在はもちろん大切だが、(それらの存在があるからこそ、このシステムの中に安定的にいられる。)理不尽を与える他者の存在にも同じくらいその存在には意味があるのだと思った。理不尽な存在は、これらのプロセスを深めたり、進めたりに関わるからだ。深めたり、進めたりをした方が良い。という事ではなく、そうしたくても、したくなくても、生きていればそうなっていってしまう。という事だと思う。

 私は今まで、他者の理不尽な側面について、その積極的な意義を感じられた事が少なく、出来る限りそれらをなくしたいし、自分も他者の理不尽に極力ならないように努めてきたが、それも私の自然な性格であり、人格だから、それで良いと思っているし、そのように今後も生きていくだろうが、まあ私の他者に対して理不尽な部分が自覚されたとしても、そんなに気にする必要もないんだろうなぁ。という感じがした。

 

2024 あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。2024年になりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

 

 

今年はいくつか文章を書いてみたいと思い、昨年末に滞在したインド公演について書いてみようと思います。動画も作ってみたので、併せてご覧いただけたら幸いです。https://https://youtu.be/0uh00p5eON0?si=BcKvxCAbdySryfaS

 

 昨年は私のソロパフォーマンス「Esperanza/希望」にご来場くださりありがとうございました。昨年はこの作品で、3月に福岡、4月東京、5月千葉、10月大阪、12月インドデリーと上演させていただく事が出来ました。機会を下さった方々、ご来場いただいた方々、一緒に公演を創り上げてくれている仲間達に改めて感謝の気持ちでいっぱいです。月並みな言葉しか思いつかないのですが、本当にありがとうございました。

 

 実は自分の作品を東京以外で上演出来た事は私にとって初めての体験で、率直にとても嬉しかったです。今後とも更にたくさんの場所でいい形で上演が行える様に頑張っていこうと思います。

 今回のインド公演は、日本国際交流基金さんの派遣事業として首都デリー近郊のグルガオンで行いました。自作での海外公演も、もちろん産まれて初の体験で、長い間の叶えたい夢のひとつだったので、本当にご縁に感謝を感じました。今後も自分の作品で海外公演を行える様に、チャレンジしていきたいと思っています。

 インド公演で1番印象に残っている事は、本番中に踊りながら何故か不思議と懐かしい様な、子供の頃に昼寝をしている時の様な、ねっとりと包み込まれるような独特な空気感を感じていた感覚です。

 今もこの懐かしい感じを思い出しながら、この文章を書いています。

 

 もうひとつは、インドの街や人から「余裕があるな〜」という感じを強く受けました。一歩街に出ると通りは行き交う車の喧騒やクラクション、埃っぽい空気、タクシードライバーからの声かけ等で、歩くのも大変なのですが、やはりインドの方々から精神的にゆったりしている印象を日々受けました。自分も含めてですが、日本の方が明らかに余裕ない人が多いな。と思いました。

 何故なんだろう。インドの方が相手が私に出来る事、してくれる事に対する期待が低いような気がして、だから私が相手に出来ない事があってもそれ程気にしないし、そもそもそんなに完璧に事が進まない場合が普通である。みたいな基準で生きてるような、そんな印象を受けました。

 インドと比べて日本の生活を振り返ると、物事は完璧に進む事が普通で、それが基準になっているような感じがしてきて、もしかしたらそんな所から余裕のなさが生じてきてるのかもな〜なんて思ったりしました。もちろん、日本の方が色々便利だし、それは良いことなんだけど、私はもしかしたらもう少し不便があってもいいから、働く人にも利用する人にも余裕がある雰囲気の方が好きかもな〜と思いました。

 

 そんなこんなで、ダラダラと文章を書いてみたりしている年の始めです。笑 出来る限り余裕がある自分でいたいな〜。日本では、なかなか難しいだろうけど。

 今年は、新しい新作パフォーマンス作品の制作を始めようと思っています!まずは5月に福岡のダンスフェスティバルで何か作品を発表出来る機会を頂いたので、それに向けて制作を始めます。

新作が出来たらまた、東京、千葉を始め国内外の色々な場所で公演活動が行える様に頑張っていきます。今年は新作の制作費のご寄付をお願いしたく、クラウドファンディングを立ち上げました。周りにご協力いただける方がいらっしゃいましたら、お声かけいただけたら幸いです。引き続き、絵の制作も続けていきたいと思います。また「Esperanza/希望」もまだまだ色々な場所で上演したいと思っております。何処でも伺いますので、踊らせて頂けるチャンスがありましたら、ご連絡お願い致します!その他ワークショップのご依頼や、何でも、何か一緒にやってみない?手伝ってくれない?などなど何かありましたら、どうぞお気軽にお声をかけてくださると大変嬉しいです!

 

 それでは本当に長々と読んでくださって、ありがとうございました。良い時も、そうでない時も、それなりに頑張っていきたいと思いますので、また報告させてください。

 

では、お身体に気をつけて健やかにお過ごしください。

 

芝崎健太