kentakinte’s diary

活動報告!

最近考えたこと プロセス

 癌患者の受け入れるプロセスを、否認、怒り、取り引き、鬱、受容の5段階であるとキュブラー・ロスという人が言っているというのを聞いた。本当のところで癌患者がどうなのか今の私にはわからない。しかし、私は病気があるなしに関わらず、生きる限りにおいて、この5段階をプロセスすることから逃れられないのだろうなぁと思う。もちろん人生は人それぞれ。私以外の人生はわからない。しかし、見てると割と私の周りのほとんどの人が、この過程を経験しながら日々を生きているように見える。各項目がどのくらいの長さ、深さで経験するかは人それぞれ違うし、全部を経験し終えないで人生を終える事も多数あるだろう。受容を深く体験する人こそ、ごく少数なのかもしれない。そしてこの過程を何度も繰り返し体験することもあるだろう。

 私の場合は、多くの場合、ストレスや危機や病気と共にこれらのプロセスを経験していってきたという感じがする。それは思い通りにならない危機的状況である。

 何の意味があってこんなプロセスを経験するのかは、わからない。

 意味はないのだろう。

 私達はそういうシステムに産み落とされたという事だと思う。

 どう抗っても、このプロセスから逃れる事は出来ず、私達は何があろうがこのプロセスを経験させられる。

 そう考えると、私にとって害にならない、安心や喜びや楽しみを感じさせてくれる他者の存在はもちろん大切だが、(それらの存在があるからこそ、このシステムの中に安定的にいられる。)理不尽を与える他者の存在にも同じくらいその存在には意味があるのだと思った。理不尽な存在は、これらのプロセスを深めたり、進めたりに関わるからだ。深めたり、進めたりをした方が良い。という事ではなく、そうしたくても、したくなくても、生きていればそうなっていってしまう。という事だと思う。

 私は今まで、他者の理不尽な側面について、その積極的な意義を感じられた事が少なく、出来る限りそれらをなくしたいし、自分も他者の理不尽に極力ならないように努めてきたが、それも私の自然な性格であり、人格だから、それで良いと思っているし、そのように今後も生きていくだろうが、まあ私の他者に対して理不尽な部分が自覚されたとしても、そんなに気にする必要もないんだろうなぁ。という感じがした。